G-YZ1JKCMTN4 子どもと出かけた小学校時代 ― 親の期待と子どもの興味のずれと、継親としてのもやもや - 気持ちがラクになる50代ライフ

子どもと出かけた小学校時代 ― 親の期待と子どもの興味のずれと、継親としてのもやもや

なお

はじめに

私はステップファミリーとして生活してきました。
妻には連れ子がいて、私と初めて会ったのは子どもがまだ5歳のころ。
そこから一緒に暮らすようになり、いまや子どもは成人を迎える年齢になりました。

これまでの年月を振り返ると、楽しい時間もたくさんありました。
その一方で、「あのときの選択は正しかったのか?」と、今になって思い返してはもやもやすることも少なくありません。

そのひとつが、子どもが小学校時代に、休日ごとにいろいろなところへ連れ出したことです。


小学校時代、積極的に出かけた日々

私は妻と話し合い、できるだけ子どもにたくさんの体験をさせようと考えていました。

  • 1泊2日の旅行
  • 地域のイベント
  • 無料の体験教室や展示会

行ける範囲で、できるだけいろんな場所に足を運びました。
「子どもが何かに興味を持ってくれれば」
「新しいことに出会って夢中になってくれれば」

そんな思いから、私も積極的に情報を集めては週末の予定を埋めていました。


親の期待と子どもの興味のずれ

しかし、現実は私が思い描いていたようにはいきませんでした。

子どもは特別に「これが好き!」と強い関心を示すものはなく、どの体験も一過性。
「面白かった?」と聞いても、返ってくるのは「ああ、まあまあ」程度の反応。

「せっかく連れて行ったのに…」
「こんなに調べて準備したのに…」

そんなもやもやが、親として心に残りました。

けれど不思議なことに、子どもは「行きたくない」とは言いませんでした。
出かけた時間そのものは楽しかったようで、出先では笑顔を見せ、楽しそうにしていました。

つまり、「何かに夢中になるきっかけ」にはならなかったけれど、家族で過ごす時間としては意味があった
頭ではそう理解できても、心の中には「成果がなかった」という感覚が残ってしまうのです。


親の趣味と子どもの好みの違い

もうひとつ、私のもやもやを深めたのは「自分と子どもの好みの違い」でした。

私はアウトドアが大好きです。
海に出かけたり、山に登ったりするのが気分転換になります。

ところが子どもはというと、

  • 海が嫌い
  • 虫が苦手
  • 暑さ寒さが嫌い

アウトドアにはまったく興味を示さず、むしろ「室内レジャー」や「インドア遊び」を好みました。

「どうしてこんなに違うんだろう」
「もし自分の子どもなら、少しは似ていたのではないか」

そう思ってしまう瞬間が何度もありました。
これはステップファミリー特有の感情かもしれません。
「血のつながりがないからこそ、違いを強調して受け止めてしまう」
そんな自分に気づくと、余計に複雑な気持ちになりました。


「良かれと思って」は正解だったのか

振り返ってみると、当時の私は「良かれと思って」予定を組み、イベントや旅行に連れ出していました。
でもそこに、子どもの興味や意欲を十分に尊重する視点は欠けていた気がします。

  • 子どもが興味を持っていなくても、「行かせたら変わるのでは」と思った
  • 無料イベントがあれば「せっかくだから行こう」と強引に参加した
  • 結果的に、子どもは特に関心を持たずに終わった

今思えば、**「親の期待を優先していた」**部分が大きかったと思います。


それでも意味があったこと

とはいえ、すべてが無駄だったとは思いません。
子どもに新しい趣味や夢中になれるものを見つけさせることはできなかったけれど、一緒に過ごした時間は間違いなく残っています。

出かけた先での写真、楽しそうにしていた笑顔、帰り道での何気ない会話。
そうした時間は、きっと子どもの記憶のどこかに刻まれているはずです。

親の思惑とは違っても、「一緒に遊んだ」「一緒に出かけた」という経験そのものが家族の思い出になる。
その意味では、やはり価値のある時間だったのだと思います。


血のつながりを意識してしまった瞬間

ただ、それでも私の心の奥底には「血のつながり」という言葉がよぎる瞬間がありました。

  • 自分の趣味と子どもの好みの違いを感じたとき
  • せっかく準備したのに子どもが興味を示さなかったとき

「やっぱり血がつながっていないからなのか」
そんなふうに考えてしまう自分が嫌でした。

でも冷静に考えれば、血のつながった親子でも、趣味や好みがまったく違うことはいくらでもあります。
それなのに「継親だから」と理由づけしてしまうのは、自分自身の心の弱さだったのかもしれません。

あわせて読みたい
妻なら気にならないのに、子供だと腹が立つーステップファミリーとしての本音と気づき
妻なら気にならないのに、子供だと腹が立つーステップファミリーとしての本音と気づき

今だから思うこと

小学校時代にいろいろなところへ出かけた経験を振り返って、いま思うのはこういうことです。

  • 親が「これを体験させたい」と思うことと、子どもが「やりたい」と思うことは一致しない
  • それでも、一緒に過ごした時間は確かに意味があった
  • 趣味や好みの違いを「血のつながり」と結びつける必要はなかった

あのときのもやもやは、今でも完全には消えていません。
けれど、それも含めて「親としての体験」だったのだと受け止めています。


まとめ ― 同じように悩む継親の方へ

もしこの記事を読んでいるあなたがステップファミリーで、同じように「子どもにいろんな体験をさせたい」と思っているなら、伝えたいことがあります。

  • 無理に「興味を持たせよう」としなくても大丈夫
  • 興味を示さなくても、「一緒に行った時間」自体が意味を持つ
  • 趣味や好みの違いは血のつながりの有無とは関係ない

子どもが「やりたい」と言うことを尊重しながら、親の願いも少しだけ織り交ぜる。
そのくらいのバランスで十分なのだと思います。

ステップファミリーには特有の悩みがあります。
でも、それを抱えながら一緒に時間を過ごしたことが、きっと子どもの心に「家族の思い出」として残るはずです。

そして振り返ったとき、きっと親自身の心の中にも「悪くなかった」と思える日が来るのではないでしょうか。

ABOUT ME
なお@心を軽くする50代
なお@心を軽くする50代
私は現在50代。これまでの人生で、仕事・家庭・健康・お金など、さまざまな悩みやストレスに直面してきました。 特に家庭では、ステップファミリー(継親) として生活しています。 血のつながりだけではない家族の形は、喜びがある一方で、葛藤や難しさも多く経験しました。 職場では上司と部下の板挟みに悩み、居場所がないと感じたこともあります。 家庭では夫婦のすれ違いや親の介護、そして継親としての立場に葛藤しました。 健康診断の結果に落ち込み、老後のお金の不安で眠れない夜もありました。 そんなときに助けになったのが、心理学や思考法でした。 専門家ではありませんが、「考え方を少し変えるだけで、心がラクになる」ということを、実体験を通じて感じています。
記事URLをコピーしました