コロナ禍で子どもの学校行事に一度も参加しなかった私の本音

はじめに
子どもが中学校を卒業し、高校に進学、そして卒業へと歩んでいく時期。
その大切な時期は、まさにコロナ禍の真っ只中でした。
学校行事はことごとく制限され、保護者の参加は最小限に。
「家庭から1名のみ」というルールが当たり前となり、我が家では自然と妻が参加しました。
結果的に、私は子どもの中学時代・高校時代の入学式や卒業式、文化祭といった行事に一度も顔を出していません。
そして、ここからが正直な本音です。
「行かなくて済んでよかった」――。
これは家族には絶対に言えないけれど、私が心の奥底で抱いている感情です。
保護者1名制で妻に譲った日々
コロナ禍の学校行事は、とにかく制限だらけでした。
- 卒業式や入学式 → 保護者は1名のみ
- 文化祭や体育祭 → 保護者参加は中止、あるいは大幅に縮小
そんな状況の中で、我が家では「妻が行く」というのが自然な流れになりました。
子どもにとっても、母親の方が安心するだろうし、学校側とのやり取りも妻に任せるほうがスムーズです。
私自身も特に反対する理由もなく、「じゃあお願い」という感じで決まりました。
こうして気づけば、私は中学卒業から高校卒業までの6年間、学校行事に一度も足を運んでいませんでした。
正直な気持ち ― 行かなくて済んでよかった
ここからは、家族には決して言えない私の本音です。
「行かなくて済んで、正直ホッとした」
「面倒だから行かなくてラッキーだった」
理由はごく単純です。
- 学校のアクセスが悪く、行くだけで一苦労
- 保護者が集まる雰囲気が苦手
- 人混みや慣れない環境にストレスを感じる
つまり、ステップファミリーだからとか、子どもとの関係性がどうだから、というのは関係ありません。
単に「めんどくさい」という性格的な理由でした。
もしコロナがなければ、有給を取って妻と一緒に入学式や卒業式に参加したと思います。
会社も比較的休みが取りやすい環境でしたから、それ自体は難しくありませんでした。
でも実際には、コロナのおかげで「1名のみ」の制限がかかり、私は自然に外れることができた。
「ありがたい」と思ってしまったのが正直なところです。
もしコロナがなかったら
ふと考えることがあります。
もしコロナが流行していなかったら、私はどうしていただろう?
おそらく有給をとって入学式や卒業式に出席していたでしょう。
文化祭や体育祭にも、妻と一緒に出かけていたかもしれません。
そして、そこで「親としての役割を果たした」という満足感を味わっていたのかもしれません。
けれど一方で、「正直、やっぱり行くのはめんどくさい」と心の中で思っていたのも事実だと思います。
つまり、コロナがなかったとしても、私は気乗りしないままイベントに参加していただけだったのかもしれません。
そう考えると、「コロナのせいで行けなかった」というよりも「コロナのおかげで行かなくても済んだ」と感じてしまう自分がいます。
子どもたちが制限された青春
一方で、子どもたちにとっては本当に気の毒な時期でした。
- 文化祭や体育祭は中止、または縮小
- 部活動の大会も相次いで中止
- 友人と自由に遊びに行くことも制限
まさに「青春の一部が奪われた」ような数年間だったと思います。
私は「行かなくて済んでラッキー」と思っていましたが、子どもたちは「やりたいことができない」という制限を強いられていました。
その姿を見ると、「自分は楽をしただけなのに、子どもは我慢ばかり」と複雑な気持ちになりました。
だからこそ、私のこの本音は絶対に家族には言えません。
「行かなくてよかった」なんて、子どもにとっても妻にとっても理解されないでしょう。
それはあまりにも勝手すぎる感情だからです。

家族に言えない本音を抱えること
私は今でもこの本音を家族に話すことはありません。
話してしまったら、「無関心だったのか」と思われるのが目に見えているからです。
実際には、無関心だったわけではありません。
子どものことは心配していたし、日常生活の中でできる限りのサポートはしてきたつもりです。
ただ「式典やイベントに行く」という行動に対して、どうしても腰が重かった。
それを正直に伝えることはできず、心の中にしまい込んでいます。
でも、家族に言えない感情を抱えていること自体が、ステップファミリーとしての「リアル」なのかもしれません。
建前と本音の間で揺れ動きながらも、家族の一員として過ごしていく。
それもまた、家族の形のひとつだと思うのです。
まとめ
コロナ禍で、私は子どもの中学・高校時代の学校行事に一度も参加しませんでした。
「家庭から1名のみ」という制限の中で妻に譲り、結果的に私はすべて不参加。
正直な気持ちを言えば、「行かなくて済んでよかった」。
これは家族には言えないけれど、私の本音です。
けれど一方で、子どもたちは青春を大きく制限されました。
入学式や卒業式、文化祭や体育祭といったイベントが縮小され、思い出を作る機会が失われてしまったのです。
私は楽をしたけれど、子どもたちは我慢を強いられた。
その事実を思うと、胸が痛みます。
親の本音と建前には、どうしてもギャップがあります。
でも、その矛盾を抱えながらも家族の一員として歩んでいく。
それが私にとっての「ステップファミリーとしての現実」であり、同じ立場の方にとっても共感できる部分があるのではないかと思います。





